葉

 自己紹介

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似顔絵

 2004.11.21に描いてもらった私の似顔絵。
 ポイントをよくつかんでくれています。
 作者は≪久我郁子さん≫。

 彼女の仕事もうまくいきますように。

 このページは2001.1.21に書きました。8年近くたち、いろいろな変化もありましたが、ネット販売を始めた頃の考え方や状況も残しておきたく、更新は色を変えて《注》の形で直していくことにします。

《2008.12.24更新分はこの色です。》

《2014.08.02更新分はこの色です。》
 
 昭和23年生。ベビーブーマーで,「戦争を知らない子供たち」世代。「青春」と聞けば血湧き肉踊り,「夕日」と「砂浜」がセットされていれば走り出し,森田健作などの「クサイ演技」にもさしたる違和感を覚えず、「吉永小百合最高」という世代。「月光仮面」「赤胴鈴之助」など「正義の味方」は「みーんな僕らの仲間」でした。「新人類・宇宙人」と言われる世代が中心のインターネットの世界では異質な存在と言えます。 N工大卒(地元では「ミャ−コーデャー」という)。 M電器にてオープンデッキの開発・設計に従事していました。
 「香里農園」ーといっても小さな農場ですがーの名は会社員時代、枚方の香里園 に住んでいたことから付けたものです。ちなみに、今住んでいる場所の近くが 昔々「香里」と呼ばれていたようです。農園を始める前から経営していた学習塾の名は「香里塾」。小金をためたら将来「香里貸し」?妻と3人の息子たち がいます。

 現在、学習塾経営と農業に取り組み、忙しい毎日を送っている。10数年続いた高校非常勤講師(数学)はネット販売を始めた1999年に辞めました。現代の生徒を教える自信も気力もなくなりました。《それから数年後塾も閉め、それでも残った3名だけ2年ほど家で教えて先生業はおしまい。その代わり新しい柱として小説家を目指す。が、まもなく印税生活など夢のまた夢ということを思い知らされることになる。》趣味はオーディオ・カメラなどでしたが、今は忙しくて時々の釣りと 読書だけになりました。《目も悪くなったので、今はむしろカラオケかな?息子たちに連れて行ってもらったカラオケで、プロ歌手はお客を酔わせる、カラオケは自分が酔えばよいと悟り、カラオケマイクを買ってテレビのビデオ入力につなぎ、さらにイアホン端子から自慢のオーディオの外部入力端子につないでいる。純粋なオーディオではないから音質は余り気にしない。タンノイのスピーカーは大入力でも大丈夫のようだが、万一ということもあるので、マイクとスピーカーはできるだけ離す、接続や電源を入れる順番を間違えない、など細心の注意を払っている。八代亜紀、加藤登紀子、都はるみなどの歌が好みであり、自分の声にもあっていると勝手に決めている。》《もともとオーディオには凝っていたから、知り合いの電器屋さんにアンプ・スピーカー・ミキサー・マイク・LDデッキ・LDなどをもらった機会にどんどんエスカレートした。キーコントロールができるカラオケアンプをオークションで買い、余っていた小型テレビ・ビデオデッキを利用してオーディオ装置とは別系統のカラオケ装置を構築した。自分用のカラオケDVDも作成した。映画や落語なども楽しめるホームシアターを作るのが夢だったが、先日40インチの中古テレビが手に入ったので、夢は実現された。とにかくお金をかけないで趣味を楽しむのがわがポリシー。元のオーディオルームは2階なので、南海地震にそなえて部屋を既に移動している。幼友達の旦那が歌がうまく、カラオケ同好会で指導を受けた。》釣りは親父の「血」を強く受け継いだ三男が「釣りバカ」なので、磯に連れて行く「アッシー君」をつとめているうちに「はまり」ました。読書は小学生の頃から好きでどこに行くにも本を持っていなければ落ち着きません。高校時代の恩師の影響で、「食と水」特にパイ・ウォ ーターに興味を持ち、その方面の本もよく読んでいます。「医食同源」、 「身土不二」で「死ぬまで健康に」をモットーとして います。人間にとって最も大切な「心」に関して、宗教関係の本もよく読みます。《私の趣味のうち、純粋なオーディオは誰にも受け継がれませんでした。孫に期待しましょう。長男はオーディオといえば言えないこともないカラオケとカメラ、次男は読書、三男は釣り、にそれぞれ興味を示しています。学生時代、まあまあ得意だった物理にはどの息子も手を出しませんでした。負けず嫌いの血は受け継いでいるようです。》

 高校時代に「ネクラ」から脱出しようと、落語をはじめとして「お笑い」関係に 無理やり興味を持とうとしました。今ではまわりから、「先生」をやっているより 「吉本興業」に行った方が才能が花開くのではないかといわれています。
 芸名は、東京落語用に「何言亭若泥(何言ってやんでい)」、大阪落語用に「何言亭万念(何言うてまんねん)」としていますが、「落研」に入っていたわけではありません。《古今亭志ん生、桂枝雀のように、基礎ができた上で自由奔放な芸が好きでした。枝雀さんはもう一皮むければ米朝さんを超えるのではないかと期待していましたが、残念なことでした。余り知られていないが力を持った噺家、人気が先行してテレビでみじめな姿をさらす噺家。どこの世界にもいるものです。藤山寛美が言ったそうな。金のない芸人はいいが、芸のない芸人はみじめだ。》《芸名はこの頃「歯無家入歯(はなしやいれば)」としていますが、何か問題でも?》

 「賢者は聞き、愚者は語る」と言います。知っていることは何でも話し、 教えたがりの私は多分「オロカ者」なのでしょう。ただ、話をして人に聞いてもらうほうが 自分の「オロカさ」に早く気づくのも事実です。黙って「分かった振り」をしているより成長 は早いと思います。
「変わり者」とも言われます。が、曲がった今の世の中をまっすぐ歩こうとしているからそう見えるのだと思ってい ます。

 農業は妻の協力なしではやって行けません。大阪出身で農業の経験が全く ないにもかかわらず、よくやってくれていると感謝しています。近所では「働き者」でよく気が付くしっかり者と、私よりはるかに評価が高いのです。親の面倒もよくみてくれ、知らない人は私が「養子」だと思っています。私は理科系、家内は文科系で、性格や考え方は大きく異なります。性格が大雑把で時々「整頓」はするが「整理」ができないという欠点は「度量の狭い」私には耐えられないこともあります。が、よく言えば「純粋」で「変わり者」の私が世間を歩けるのも家内が「オブラート」に包んでくれているからだと思います。妻は田村正和 とトム・クルーズのファンで、おそらく私の中に共通点があるのでしょう。

 今までの「慣行農法」を主張する父とはよく衝突しました。(この父は2001年5月に亡くなりました) 確かに有機・ 無農薬農法は失敗も多く、労力・収入面で苦しい戦いです。20数年努力して きた農家が世間の理解を得られず、挫折した例も見てきました。私自身も市場 の作物に関する価値観、物知り顔の消費者の気まぐれに泣かされてきました。

 そこで活路を見出すべく、インターネットでの直販を思い立ち、本を片手 にホームページ作りに悪戦苦闘しました。今までワープロで塾の教材を作っ てきましたが、パソコンは少し勝手が違います。学生時代に多少コンピュータ ーもかじりましたが、今から考えると縄文時代の代物でした。齢51歳(1999年10月)での挑戦です。体力・ 知力に衰えが見られ始めたとは言え、「元技術者」のプライドだけは持ってお り、自力で完成して次第に完成度を高めていく予定です。ホームページについ てもアドバイスをお願いします。《2008年10月、息子がHPデビューしています。》

 《数年前に長男が嫁を連れて田辺に帰ってきた。税金や生活費等を考えれば、農業を継ぎ、同居するのが得策ということで話がついた。とはいえ、我々夫婦、つまり舅・姑、さらには古いばあさんがいる所での同居はかなりの困難が予想された。しかも百姓だ。しかも、しかも、長男の嫁は中国人。家内の苦労は目に見えていたが、休みをできるだけ取り、どちらかの夫婦が温泉や旅行に出かけることでストレスを解消することにした。どこの家にも問題があるように、うちでも人に言えない悩みがある。今は乗り越えるしかないと思っている。気楽なご家族、特にノーテンキな奥様方を見ると……。それ以上は言わない。この世は自らの修行の場。》


私の考え方

なぜ有機・無農薬農法を目指すのか

  きれいで見栄えがよく大きさもそろっているが、発泡スチロールを食べてい るような野菜が増えてきました。こんな作物よりも、安全でエネルギーに満ちた作物を作り、提供するのが 「百姓」の使命だと考えます。昔の野菜は特有のにおいもあり、おいしかった。

 昔と違うのは肥料と農薬と水・空気です。私も百姓の子。化学肥料と農薬をひかえ、 自然農法と有機・無農薬農法関係の本を読み漁って、良いと思われることを できるだけやってみました。すると…おいしい野菜や果物ができたのです。 「おいしさ」は「エネルギー」の証明だと思います。ド素人の私の野菜がなぜおいしいのか。同じく有機・無農薬に挑戦していた、今は亡き母方の祖父が生前の約束どおり天国から指導してくれているとしか考えられないのです。祖父の時代にはインターネットもなく、理解されないままこの世を去りました。

 化学肥料や農薬は食料増産に貢献し、農家の労力を軽減してきました。 が、同時に弊害も見過ごせなくなってきました。 除草剤は、草刈の労力・危険性を考えると使いたい衝動に駈られますが、 ダイオキシンの恐ろしさを考えて、ここ20数年使っていません。ただ、作業の大変 さを知っている私としては、除草剤を使う農家を否定することには躊躇せざる を得ません。農家もできれば危険な農薬散布などしたくないのです。
 《除草剤については正直なところ悩み続けています。当初5反ほどだった田畑が、管理しているものも含めると今は15反位になっています。50歳だった私も今や65歳です。この間、脳関係で3回病院のお世話にもなりました。命や健康や家族を犠牲にして理想を貫くべきなのか。家庭菜園と異なり、我々には生活があることをご理解下さい。田植えや梅の忙しい時にみかんの畑は草ぼうぼうになり、カミキリ虫が樹の幹に卵を産んで樹が枯れたりします。近隣の農家にも迷惑をかけます。特に夏の草刈は地獄です。農薬会社は安全な除草剤になったと宣伝しますが、にわかには信じられません。便利なものには必ず副作用があります。かといって、無責任に除草剤は絶対に駄目だと主張する声に従うこともできません。昔はともかく、今は「除草剤≒ダイオキシン」ではないと思います。二酸化炭素、原子力問題などと同様、本当はどの説が正しいのか、わかりません。さる大国の食品に比べて、わが国の食物はみんな「安全安心」になってしまいました。私は、生育抑制効果を持つと思われる有機物での実験を繰り返し、これに最低限どれだけ農薬の除草剤を混ぜれば効果が認められるかの実験もやってきました。今は直接作物に関係のない畑周辺には農薬入りも許されるのではないかと考えています。これで体の負担を減らし、その分肝心なところには農薬以外の除草剤、草刈り機、手作業の草引き、草性栽培を組み合わせようと考えています。
 除草剤だけではなく、当初私は一般の農薬についても無農薬を目指して努力してきました。EMや木酢を使った散布剤が中心でした。草花による除虫なども試しました。が、異常気象や安けりゃいいという風潮のあおりも受け、結果としてお客様は離れて行き、農業を生業とすることが難しくなりました。昔からのお客様にご意見を聞いたりして、生産者の良心を大切にしつつ、綺麗さも考慮した低農薬散布で少しずつ回復はしてきていますが、そもそも現在は農家全体が絶望的な状態になってきました。ただ、人間は毎日食べなければならず、食べたものは次の朝出てしまうという意味で、食い物商売には未来があります。ただ、食い物を外国に頼ったら、国の未来はありません。
 同じ低農薬と言っても、無農薬から出発した低農薬農家と慣行方法から出発した低農薬農家では取り組み方や感覚が違うのです。いろいろな人の立場に配慮するとこれくらいしか言えません。》
 
行政機関による農薬禁止 という手もありますが,消費者の意識が変わらない以上,一番先に困るのは農家です。 必要性の少ないものから順に禁止していく,それに代わる安全な方法を大学・ 農業試験場などで研究・実験していく,というのがベストと思います。バイオ・ テクノロジーや遺伝子操作という、華々しいものより,安全を優先すべきでしょう。

  「農薬」の怖さは「沈黙の春」「複合汚染」、「環境ホルモン」の怖さは、「奪われし未来」 などの本でご存知の方も多いと思います。環境ホルモンは「現在の明白な危険」 ではなく、将来、生物の存続そのものが危険にさらされ取り返しのつかないこと になる点で深刻な問題です。安易に「安全宣言」をしたり,責任を告発者に転嫁するのは止めてほしいものです。原因となる化学物質が大量に出回っていて避けら れない、主に子孫に影響し胎児は無抵抗である、残留性がある、微量でも作用 し、食物連鎖によって濃縮されることが分かっています。したがって、 「知らなかった」では済まされないのです。救いは、遺伝子を傷つけたり、世代 を超えて突然変異を起こさないと考えられること。現実的・世俗的な世界に生きる政治家や, 自己保身だけを考える官僚・役所には,残念ながら期待できません。自衛策として、良い水 、農薬や添加物に汚染されていない食物をとり、化学物質の使い過ぎに 気をつけるなど、便利さや経済性だけを考えず、人の命や健康を第一に考える しかありません。

 私は土壌改良、病害虫対策としてEM,パイウォーター,木酢などを使っ ていますが、果樹については完全無農薬は大変むずかしく、正直言って現在は 必要最小限の農薬も使っています。私は「慣行農法」を完全に否定し、「自然 農法」に固執するものではありません。「純粋主義・原理主義」はどこかで破綻します。自然農法を基本にしつつ、慣行農法の 良い点も取り入れていくという考えです。農業は「理想」だけではやって行け ません。「現実」も正面から受け入れなければならないのです。「無農薬」とは、 「消毒をしないで放っておくこと」ではありません。作物や木を病害虫から守る ために、安全と思われる対策をしなければなりません。家庭菜園でない限り、口で言うほど簡単なこ とではないのです。

 空気や水が大汚染されている現在、一部の者が多少の努力をしたところで 「五十歩百歩」かもしれません。が、五十歩と百歩では長い間に大きな差が出て くるものと信じます。「みんながごみを散らかしていても自分だけは散らかさ ない」という人が増えてくれば世の中はきれいになるはずです。

 消費者が本当に「賢く」なって、見栄えが悪くても農薬を使わない作物を 受け入れてくれることを願うばかりです。人間の価値が顔やスタイルではなく 「心」にあるように、作物の価値はきれいさ・大きさではなく、「エネルギー」に あるのです。無用な農薬散布をしなくて良いなら、農家も助かります。一般に、 「かしこい消費者」は「良いものをできるだけ安く」だけを考えているようで す。しかし、安全には労力とコストがかかります。農家を犠牲にした「安さ」は 長続きしません。「安さ」だけを追求すると、「ニセモノ」やダイオキシンなどの 入った肥料・飼料が出てきて、結局「ツケ」を払わされるのです。「良いもの」 にしても、何が「良いもの」なのか、よく考えてほしいものです。

人間とは、生きるために動物・植物の命やエネルギーを奪い、
  我欲の為に 他人の命まで奪う動物である

そこで、…

食べ物はエネルギーを持ったものでなければならない

*食べ物は見栄えや大きさではなく、エネルギーに価値がある。エネルギーは味に出る。
*農作物は太陽の光、良い空気・水・土の「結果」である。卵は健康な鶏 の「結果」である。「原因」を良くすれば良い「結果」が生まれる。
*農薬・化学肥料はマイナスのエネルギーを持つものだから、 できるだけ控え、やむを得ず使うときはそれを打ち消す対策をする。

人間は命・エネルギーをくれた動物・植物に感謝 しなければならない。

*見栄えや大きさだけで食べ物を選ばない。
*全体を無駄なく感謝して食べる。動物・植物を殺すのが「殺生」ではなく、 無駄にするのが殺生である。
*「美食」とは「おなかがいっぱいでも食べられる料理」である。 「おいしく食べる」には働いてお腹を空かせておけば良い。

私のめざす農法

  効率が悪く生産性が低いといわれる農業。有機・無農薬はその最たるものでしょう。「私」が農業をやる以上、「あるべき」農業とはどんなものか、方向を考えてみました。

[QOL農法]

 QOL(クオリティー・オブ・ライフ)はほかのページにもよく出てくるキーワードである。人生・生命の質を高める農業、つまり、 質の高い作物と質の高い農業生活を目指す。仕事は「楽しく、やりがいのある」ものでなければならないし、そうなるように努力すべきだ。 「楽しくない、やりがいがない」と思うような仕事ならやめたほうがよい。 「天気でよかった」「雨でよかった」と思えるような余裕を持ちたい。大雪・台風・ヒョウなどはあまり歓迎したくないが。

[ハイブリッド農法]

 ローテクとハイテクを調和させた農法。有機・無農薬や自然農法は「ローテク」と考えられがちだが、無意味な苦労は避けるべきである。健康な農作物に支障のない限りいろいろな分野の「ハイテク」を取り入れていきたい。

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